「中華人文碑林」の入口は、「螭首亀趺」の巨大な石碑で表現されています。外観は雄渾で、全体に壮麗です。これは中国古代建築の典型的な設計に従ったものです。碑は碑首、碑身、碑趺の三部分から成り、碑首は円形、碑身は長方形、碑座は亀趺座です。伝説では龍は九子を生み、「螭首」と「亀趺」はいずれも龍の子とされています。碑首には六龍が盤る浮彫があり、龍首は左右に垂れて碑身上部の両角をくわえ、威厳ある姿を見せます。碑身の題字は中国当代書法家の周俊傑が得意の隷書で書いたものです。亀趺は重々しく頭を上げ、四本の脚で力強く支えています。廟院、祠堂、碑林、名勝古跡などでは、顕著な石碑の基座として亀趺が用いられることがあります。

「龍生九子」とは、龍が九人の子を生み、それぞれが龍にはならず、好みも性質も異なるという伝説です。兄弟であっても資質や嗜好が異なることのたとえです。九は中国伝統文化で極めて多いこと、また尊貴さを示す虚数であり、龍の子を表すのに用いられました。

螭首

螭吻、鴟尾、鴟吻、鸱吻とも呼ばれる魚龍の一種です。遠くを望み、物を呑むことを好むとされ、建築物の装飾、特に屋根の火除けの獣頭として用いられました。古代の図騰崇拝から見ると、魚が龍へ変わったのは、魚を図騰とする氏族が龍図騰の民族に融合し、族徴としての図像も龍頭魚身の魚龍へ変化したためと考えられます。「鯉魚躍龍門」「登る者は龍と化す」という説もここに由来します。

亀趺

贔屓、石亀、覇下とも呼ばれます。亀趺は亀に似ていますが、よく見ると違いがあり、覇下には歯があり、背甲の甲片の数や形も亀とは異なります。伝説では覇下は力強く、古代には三山五岳を背負い、河川や湖海で暴れていました。大禹が治水の際にこれを服従させると、覇下は山を押し溝を掘り、河道を通して治水に貢献しました。洪水が収まった後、大禹は覇下が再び暴れないよう、巨大な石碑にその功績を刻んで背負わせ、重い碑によって自由に動けないようにしたといいます。

‍

立碑は一度で成功させなければなりません。これほど大きな石柱をクレーンで吊り上げ、まっすぐ据える作業です。倒したり少しでも誤れば、石柱が欠けてしまいます。石柱を石座の基礎に安置するのは一瞬の作業ですが、全工程は大きな試練です。亀趺の碑座と碑身を合わせ、安座の工事には計2日を要しました。